婚活をしたい20代後半男性のblog

婚活をしたいのかしたくないのかわからないblog

来年もよろしくお願いします

前回の投稿の性に疲弊宣言(友人には「未だ性を知らんのに疲弊するとは何事か」とも言われたりしたが)から間もないが、なんだかんだ性について考えることを辞められない。仕事中も帰省中も考えている。思春期だ。


結果、性とは役割であると思い至った。アイデンティティがどうとかいう前に男は男の格好をしたり振る舞いをしたりして男として生きていくのがほとんどであり、女も同様だ。特に意識もせずにそれをやっている。皆が無意識のうちに生まれながらに担った役割を全うしてるのだ。
これは恋愛も同じだと考える。「男らしい人が好き」みたいなフレーズに現れるように、男女は異性に求められるその性別としての役割をうまくこなせた者同士が結びつく気がする。性別を超えた恋愛が少ないのはほとんどの人が異性に異性たる役割を求めてるからではないだろうか。人間的に愛してるというのであれば性別なんてものはそもそも関係ないはずだ。「彼女が男でも愛していましたか?」と聞いてYESと答える人がいたらそれこそが真実の愛なのではないだろうか。真実の愛がなんなのかは知らないが…
そしてこういった話をすると往々にして性交渉云々(男女でないとできない)になるけどそれについては私自身あまり性衝動が機能してないのでその必要性がそこまでわからないので割愛。

私は年上の異性を異性と見ることに非常に苦労している。異性である前に年上の人間としてのくくりで考えるからだ。一緒に飲みに行ったりしても付き合ってもらってるという感覚がぬぐえない。仲が良いと甘えて失礼なことを言ったりもするけど、心の底では深いありがたみを感じている。
このとき、前提として相手にとって自分は男と見られていないというのがある。というのも、よく女視点で男を見ることがあるが、年下の男を好きになる女の気持ちがわからないからだ。なので当然自分はただの年下の人間だという意識でいるのだが、そのように「女は年下の男を男として見ない」と考えること自体が性の役割を押し付けてることになるのではないか。性に疲れたなどといいつつ自分からそういった役割にハマりにいっているのだ。

年上年下、男女関係なく全ての人に対してフラットに生きていきたいと思っているが道のりは険しい。というかこんなブログ書いてる時点でおかしい。婚活はどうした。

年末年始は実家で暇なのでたくさんブログが書けそうだと思っていたが予定がどんどん入り楽しい感じになってるので結婚しなくていいやと思っている大晦日
来年はこのブログ飛躍の年になるよう頑張りたい。具体的にはGoogleの広告の申請通るようにしたい。自分自身は飛躍するのは難しいので一歩一歩確実にゆっくりステップアップしていきたい。