婚活をしたい20代後半男性のblog

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頑張ってイケメンになろうとしてもあまり意味ない

顔は人を狂わせる。顔なんてものがあるから争いが生まれる。みんな覆面で暮らすべきだ。


顔の良い悪いはどうしようもない部分が大きいくせに人生への影響度が半端じゃない。とはいえ非モテ男はイケメンに対して敗北感を持ちすぎだし、それに対して「女は男ほど異性を顔で判断してない、顔じゃなくてそういう劣等感丸出しなのがダメなんだ」という女による卑屈非モテ叩きもよく聞く。まあどちらも間違ってないと思う。実際非モテ男が好きな女の子にろくに相手もされなかったのに後からきたイケメンがかっさらっていくなんてことはよくあるし、そうなるとイケメンずるいという思考になるのは当然だ。
しかしイケメンと非モテの差は顔のみに非ず、むしろ顔以上に経験値や自信の差が大きいと感じる。イケメンはイケメンゆえに周りに受け入れられて無意識的に自信を持って育ち、さらに類友効果で同じような健やかなイケメンに囲まれ健やかに育つ。逆の育ち方をした非モテの繊細で卑屈な気持ちにまったく理解がない(経験に基づく感想)。そしてその成長過程で女の子とも充分にコミュニケーションをとって対女性のコツを掴み、そしてその後も非モテとの差は広がる一方だ。まさに顔が人格を作るのである…非モテに対して顔が悪いんだから性格くらい明るくあれというのはなかなか難しい。顔が良いのに卑屈で非モテな人はよくわからないので人生どこかで間違えた人だろう。
ということで非モテ男はある日突然モテるようになるなんてことはないので諦めるか目標を少し下げよう。そしてイケメンに会わない世界で暮らして相対的な自己評価を上げて精神の平安を得よう。
 
と、イケメンチート説を唱えてきたが、イケメンかどうかの線引きは難しい。イケメンと呼ばれる人にはそういった健やかに育ちまくったイケメンだけではなく雰囲気でイケメンっぽさを演出してる人もいるし、そういう人にこそみんなイケメンというキャラを割り当てたりしてイケメンと呼ぶ。
人は誰かがイケメンと言った人をイケメンと呼ぶ傾向があるので、人が言うイケメンは顔の評価としてはあてにならない。女の人はほんとに顔が好きな人についてはイケメンと言わずにストレートに「顔が好き」と言う人が多い(気がする)。なんとなく周りにイケメンと呼ばれてるけどよく見るとそんなにイケメンじゃない人はただのラッキーかもしれない。逆に自分がイケメンだと思ってる人のことをみんなイケメンと呼ばないので「見る目がおかしいのかな…」と思うこともよくある。ネット記事や雑誌でもイケメンとしてとりあげられてる人が「全然イケメンじゃなくね?」みたいな感じのときもある。あと自分でイケメンと思い込んでる男は周りも「あれ、こいつ結構イケメンなんじゃ…?」と錯覚したりする。自信が顔を超越する例だ。
まあ、そんな感じで言葉としてのイケメンは「それっぽい顔、キャラ」の人を指すことが多くなってきてよくわからなくなってるところではあるけれど、健やかメンタルに育つか卑屈に育つかどうかの違いがモテにおいては重要であってそれを分けるものとして顔の力がでかいんじゃないかということだ。女の人の言う「男は顔じゃない」というのはその通りだけど結果として顔の良い人が選ばれる傾向になってしまう。個人的には見た目がアレなのに異性に対して妙に自信満々な男は一緒にいて落ち着かない。
 
ちなみに私の兄は幼少期は天使と言われるくらい可愛く近所の女の子たちにもモテモテで、その後はあまりかっこよくはならなかったけどちゃんと彼女を作り結婚した。一方私は親戚たちに将来を心配されるブサイクで(宇宙人とか言われてた)、結果こんなブログを書くことになっている。育ち方が大事であるということを証明している。
 
 
そして顔の良い女性は正直何を考えてるのかわからない。怖いので極力近寄らないようにしてる。近寄る勇気もない。話しかけられると「何が狙いだ…!?」と変な被害妄想が働いてまともにおしゃべりできない。可愛い人を見てるのは好きだけど、顔がわからないほうがこちらも安心して落ち着いてコミュニケーションがとれるので是非女性たちは下着と同じくらいのレベルで覆面を着用してほしい。ホテルで初めて男に素顔を見せるというのもなんかオツな感じがある。