婚活をしたい20代後半男性のblog

婚活をしたいのかしたくないのかわからないblog

恋愛のスタッフになろう

28歳になっても令和になっても私は相変わらずだ。むしろ人間としてだんだん凝り固まっていき結婚の可能性が遠のいていくのを日々感じ、その悲しみを肴に昔リアルタイムでハマっていたドラマ「結婚できない男」を見ながら飲んでいる。

当時は主人公(阿部寛だから)かっこいいし仕事も建築士とかいうオシャンなあれで金持ち設定だけどさすがにこの主人公性格終わってんな~こいつよりは俺結婚できるわ~と思いながら見ていたが、年を取った今気付いたら私はこんなことになっていた。なんとなく阿部寛の偏屈さも自分に通じるものがあるような気がしてならない。そしてそんな異様に偏屈な阿部寛は終盤モテてたし腹が立つ…しかし面白いドラマだ。

 

 

ここ最近(最近ではなくずっとだったかもしれないが)、もう自分がどうこうというよりも自分の周りの出来事を無理矢理恋愛メソッドに結び付ける遊びをしている。先日も行列のできる麺屋にて、この手の人気店はどうも接客が高圧的というか冷たいというかそういうところがあるなあと思いながら麺を啜っていたのだがこれは男のモテ非モテにも通じるものがあると感じた。

味そのものよりも接客があまりにも腰が低いと「たいしたことのない店だな」などと感じてしまうが偉そうな接客をされると「ここは…!一人の客を大事にしなくても客が入るほど自信があるのか!なるほど人気店!」となってしまう。実際後者のほうがよく客が入っている印象がある。

何よりも腰の低い男はモテないし、それよりは自信たっぷりのDV男のほうがモテる。おいしいが腰の低いラーメン屋よりも偉そうな接客のラーメン屋がモテるということだ。

 

また、職場で職場内結婚の話になったときに、「何が起こるかわからない世の中だから夫婦で同じ会社にいるのはリスクでしかない、リスクヘッジのためにもどちらか辞めて別の仕事をするべきだ」という話になった。これも当然恋愛に生かせるというか、平均よりモテる人間はみんなやってるなあと気付いた。あなたしかいないの!という状態に陥ってしまう人はだいたい他を見つけるのが厳しい人で、現状誰かと付き合っていようがいまいが多少モテる人はいわゆるキープを常に持っている。これこそがリスクヘッジで、ヤバいときにはすぐに切り替えができる。私はそもそものリスクもないし分散させる先もないので特に関係ないが。

 

 

こんなことばかり考えていると、私はそもそも恋愛においてプレイヤーではなかったんじゃないかと思う。スポーツにしても、選手しかいないわけではなく審判、監督、マネージャー、他にもたくさんの関係者がいる。よくよく考えたら、あたかも恋愛は人類共通のことのように語られがちではあるが人間全員がプレイヤーなんてことはありえないのではないか。人それぞれ役割があって初めて恋愛市場は回っているのではないか。私はその中でも分析したり戦略を考えたり、さしずめアシスタントコーチといったところだろう。いいじゃないか、恋愛のアシスタントコーチ。選手としての実績がなくてもスタッフにはなれるのだ。

 

こういった裏方になっても何もうまみがないのがつらいところだ。

雑記

自分自身すら売り込めない私でも日々営業マンとして働いているのだが、一緒に仕事をしている技術職の気難しいアラフォー男性がいる。指輪もしておらずあまりモテそうなタイプでもないので勝手に独身だと思い働いていたのだが、ゴールデンウィーク明けに出勤したら彼は左手薬指に指輪を装着していた。実は婚約自体は前からしており、ようやく指輪を入手したとのこと。紛らわしいことをしないでいただきたい。

 

仕事で私が関係している人たちを見ていると、独身を探すのが難しいほどに既婚者が多い。「この人こそはさすがに独身だろう!」という期待を何度も打ち砕かれてきた。

私はおそらく誰とも結婚しないだろうということ自体にはまあまあ納得がいっているのだが、職場にその道の先輩がいないことに非常に不安を覚える。あまりにマイノリティだとなんとなく扱いづらいだとか変わってるだとか、そういった印象に繋がりかねない(今日も今一緒に仕事をしている先輩に彼女の有無を聞かれ、無と答えたら「あっ…」ってなったので何かを察したようだった)。仕事を円滑に進めるためにも印象は悪くしたくない。ドンキあたりで適当に買って着けようかとも考えたがそれはあまりにむなしいので却下とした。

 

しかしここまで既婚者が多いとさすがにそれが主流というか普通なのではないかと思えてくる。私のような人間もまあ珍しくもないだろうと考えていたが、もしかしたらものすごく珍しいのではないか。昔から私は自分自身は色恋沙汰の中心になることはなく人の情事を見続けてきた、いわば孤独の観測者なのである。リーディングシュタイナーは使えない。

 

そんな私は結婚できないことを受け入れつつはあるが、女性に声をかけられたら喜んでそれに乗るスタイルではある。先日知人女性から「料理作りすぎちゃった///」と連絡がきて、その日はその女性含めた飲み会の予定だったので、終わったらその人の家に行ってタッパーに詰めた料理をもらうことになった。あまりにベタな展開なのでこんなことがあるのかと、ほとんど感心のような気持ちで家へ伺ったが「散らかってるから」と家の外で待たされ、料理だけ受け取って帰った。どうやら本当に料理を作りすぎてしまっただけのようだ。今その料理を食べながらこのブログを書いているが、とても美味しい。よかった。

こういった、導入部では「おっ?」と思わせるようなイベントが起こりがちの割に、まったく男女的な雰囲気にならないのは一種の才能のような気がしている。

 

 

このブログ、なぜか(本当になぜかわからないが)人の彼女や奥様に読まれていることが多いのだが、先日そのうちの一人に更新頻度が落ちてきているとクレームを受けたのでとりとめのない雑記による更新をしてしまった。方向性を見失ってはいるがこれからは頻度を少し上げていきたい。思い返してみたら今年の抱負はブログによる収入だった。

結婚する意味

今月で平成が終わる。平成のうちに彼女ができなかったので、平成で一番モテなかった男だと言っても過言ではない。

 

 

彼女ができない人にも2種類いて、意欲があり彼女を作ろうとしている人と特に作ろうとも考えてない人である。後者はそもそも戦いの舞台に上がっていないのでその気になればすぐにできるポテンシャルを秘めているが、前者はもう絶望的だ。

私は圧倒的前前前者で、アプリに登録したり人に紹介をお願いしたり、今度は街コンに行く話もある。

少し前には女友達に頼み合コンをし、そこで会った人と後日2人で遊ぶことに成功した。その日はとても楽しく解散後も良い感じのLINEをもらって、その後も毎日LINEを続けて「ああ、神様ぁ…この唇は彼(女)と出会うために生まれて来たのですね…」とも思うくらい舞い上がっていたが、2回、3回と会っていくうちに盛り上がりに欠けていき、その後誘いを既読スルーされるようになってしまった。平成最初で最後のチャンスと思っていたのだがそう思っていたのはこちらだけだったようだ。私のストライクゾーンはとても広く、バットを振る範囲はドカベン岩鬼を足したレベルだが打率は最後まで0.00だった。

 

 

まあそんな失敗談はいいとして、私を選ばないあたり女の人は見る目があるなあと常々感心している。だいぶ尖った性格のように思える男の人も彼女や奥さんがいることが多く、人間誰しもいいところがあるというし、女の人はそういう魅力を見出しているのだなあとしみじみ思う。それと同時に見出されるほどの魅力が自分にはないのだなあとまたしみじみ思うのである。

 

自分だけで終わる話であればまあしゃーないなと思って終わりなのだが、こんな人間になってしまったことを親にとても申し訳なく思う。親は私のことを本当に愛して育ててくれたと思うし、今でもそうだと感じている。兄が結婚して子供を作ってくれたので孫の顔を見せるというところはどうにかクリアでき、両親とも孫を溺愛している。そんな姿を見て毎回エモくなってるのだが、言わないだけで弟である早く私の嫁とその子供も見てみたいと100%思っているだろう。しかしそんなことは叶うことはないしそもそも子供はできればほしくない(自分の遺伝子を持ってると思うだけでゾッとする)のでまるで贖罪のように私はたびたび帰省して親にご飯をごちそうするのである。

 

 

しかしこういったことを考えると、結婚というのは私にとってはただの親孝行でしかないのではと思う。誰かと愛し合ってこの人と結婚したいと思ったことは愛し合ったことがないので当然一度もないし、どうしても結婚を自分の目線でとらえることができない。結婚を親孝行とか社会的ステータスとかそういった尺度でしかとらえられない。自分に自信がないからそういう体裁を気にするのかもなあとも思う。

 

今後何かの間違いで誰かと付き合えたとしてもそういったことばかり考えてしまいそうで純粋にその人と向き合えるのか非常に不安である。そう思うとアプローチに勢いがなくなり(もともとないけど)、結果として誰ともうまくいくことはないというループに陥ってるのが今なんじゃないかと自己分析をした。いや今に限った話ではないか…。

 

 

一旦結婚は後回しと思える余裕を持つよう心がけよう。焦る必要はない。親はまだまだ生きる。このブログは婚活のブログではないし婚活をしなくてもいい。

年度初め

昨年度にブログを始め、人には婚活ブログ婚活ブログと言われてきた。「婚活ブログの人」とも呼ばれたりもした。

そもそも婚活のブログではなくて婚活をしたいのかしたくないのかわからないブログなんですよ、実際に婚活はしていませんよと言っていたが誰もそんなこと聞いてくれなかった。

 

昨年度、婚活をすることはなかったが婚活はしたくないなとハッキリわかった。なのでこのブログはただのモテないアラサーのブログとなる。

最近はゲームばかりで更新できてませんでしたが収益化目指して今年度も頑張ります。

マッチングアプリは救済ではない

アプリを使えば手っ取り早くいろんな人に出会えてその中からアプローチ対象を選ぶことができる、そう信じて私はアプリに手を出した。実際最近友達がアプリで出会った人と結婚したし、今はこれが賢い恋愛の仕方だと考えた。利用料がかからない女性と違って男性の利用料は決して安くなく、私は3か月で1万円程度のパックでの登録をした(料金はアプリによりますが割と標準的な料金だと思います)。

男女共に出会いを求めてるという前提なので職場やらで出会うのとはわけが違って簡単にそういう方向に進んでいくだろうけどアプリで恋人を作りたくはない、そんな葛藤が多くの人にあるように思われるし、実際に私もそうだった。1万円払ったときは「あ~払いたくねぇ~~」と言いながらもこれから待ち受けているだろうたくさんの出会いに胸を膨らませていた。

 

そして今月が登録して3か月目だが、未だに誰とも出会えていない。こんなブログを書くために1万円払ったわけじゃないはずなのに。

一応アプリのシステムを説明すると、無数にある異性のプロフィールを覗いて「いいね」をすると相手にそれが伝わり、いいねを返すとめでたくマッチングしてメッセージのやりとりができるようになるという感じだ。当然いいねをできる回数は限られているので乱発することはできない。

誰とも出会えていないとは言ってもまったくマッチングしないというわけでもなく、ちょいちょいマッチングするのだが、それがまたタチが悪い。ハイレベルな相手とマッチングして喜んで少しやりとりしたら返事が来なくなる、そんなことばかりだ。もう少し何かが違っていればうまくいったかもしれないという気になってしまうので諦めがつかない。

しかし男性と比べ女性は膨大な量のいいねがきて、それを捌くだけでも大変らしい(友達は2000以上いいねをもらっていた)。そう聞くと、そんな中自分が勝ち残るなんてことはありえない話だ。いくら大量の男女の中でマッチング制度を採っているとはいっても、一度マッチングした者はその戦線から離脱するということはなく、強い奴は強い奴として残り続けるのだ。誰にでも出会うチャンスがあるように見えてこれは強者のみが生き残って弱者(男性)は搾取され続けるだけのシステムだったのである。なんとむごい話だ。

 

普通にモテてない人間がアプリをやっても相手が見つかることはない。あれはモテる人間があえて身の回りじゃないところで良い相手を探すためのツールだ。全然彼氏彼女ができなくて「しょうがねえアプリで作るか…」という気持ちでは絶対に相手はできない。アプリによる救済はない。諦めて出家すべき。

ユーザーのことを考える恋愛とは

最近UXという言葉をよく聞く。これはUser Experienceの略称であり、ユーザーがそのサービスや製品を通じて得られる感覚みたいなものらしく、非常にぼんやりした言葉である。ぼんやりはよくない。

企業が主導で消費を促してた時代とは違い今は消費者が自分で吟味してサービス、製品を選ぶので簡単に選んでもらえると思うなよ、ユーザー目線で考えるようにしましょうね、みたいな風潮に伴いバズワードになっているようだ。弊社でも最近偉い人たちがUXUX言っている。ユーザーよりも社員目線になってほしい。

 

ユーザー目線、要するに人の身になって考えるということだが、これは小学校低学年から道徳の授業で習っている考え方である。人の身になって考えろ、やられて嫌なことはするなと耳にタコができるほど言われた。しかし社会人になってからこんなことを改めて言われるということはみんな道徳の授業で何も学んでいないということに他ならない。「どうせこう答えればいいんでしょ」みたいな回答だけして点数を稼ぐ、それは道徳の授業の本質ではないし、やばい回答を作るサイコパスをあぶり出すのが道徳の授業の目的ではない。

私は道徳ガチ勢だったので、休み時間も道徳の教科書を読んで予習復習をしていた。あまりに読み込みすぎてよく人と違う回答にたどり着いていた。その結果自分がどうしたいかよりもどうすべきかでしか物事を考えられない人間になってしまったのだった。まあ絶対に道徳の授業のせいではないが。

 

そういった自分がどうしたいかという考えを排除して男女付き合いをしようとすると、必ず壁にぶちあたる。ユーザー(女性)目線で考えると自分と付き合ったりするメリットは何一つないので、別の商品たる良い男を紹介して終わってしまうのである。相手目線で考えると自分が迫ってくるなんてのは恐ろしすぎるのでとてもできたものじゃない。万が一相手の気の迷いでホテルなんかに行ってそういうことになっても「なんで来てしまったんだろう、早く終わらないかな」と思われること間違いなしなので変な雰囲気なときほど何も起こらないよう心掛けている。相手に後悔させないこと、それがユーザー目線なのだ。仕事でも受注することが全てではない、ちゃんとプロジェクトを完遂することが大事なのだ。しかしなんとこの考え方は仕事や道徳では丸をもらえるが対人関係では何も生まないのである。

 

なんでこの人を選んだんだろうと後悔してる、あるいは後悔してないと思い込もうとしてる女性は数えきれないほど見てきたが、個人的にはそれは選んだ側が浅はかだったとしか思えない。賢いユーザーであれ。でも本当にそんな人が多すぎる。まだ恋愛市場においてはUXは浸透していない。女性が自分が多様な選択肢の中から選ぶ側であるという意識を強く持てば男も押し売りみたいなことはやめてUXを強く意識するようになってより良い男になるんじゃないかと思う。

でも絶対そんな世の中にはならないと思うので、やっぱり道徳的な思考は捨てて自分がどうしたいかで動ける男にならないといけない。相手が後悔したらまあしゃーないと思えるくらいのメンタリティが求められている。でも相手が悲しむ顔は見たくない。困った。本当に困ってます。